初出場”ミラクル”共栄学園の原田健輔監督は、真面目で努力型

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夏の全国高校野球選手権1日目、第2試合に、東・東京代表の共栄学園が、福島県代表の聖光学院と激突しました。

共栄学園は、今大会で春夏を通じて甲子園初出場です。東・東京大会では、4回の逆転勝ちで勝ち上がり、129校の頂点に立ちました。

決勝では、9回2アウトから勝利を掴みました。チームは”ミラクル共栄”と呼ばれています。

そんなチームを率いるのが、37歳の原田健輔監督です。原田監督はどんな指導でチームを導いてきたのでしょうか?

東・東京大会決勝戦で胴上げをされる原田監督

原田監督の略歴

原田監督は、1986年に埼玉県で生まれました。高校時代は名門・浦和学院の野球部に所属しました。

同期のチームメートに、元プロ野球選手の須永英輝氏がいます。原田監督が所属していた当時、チームは2002年の春と夏の大会(原田監督が高校2年生)、2003年春の大会(原田監督が高校3年生)、合計3回甲子園に出場しています。

高校3年生の夏の大会は、埼玉県大会準決勝で敗れました。その時つけていた背番号は「19」、控えのピッチャーでした。

当時の浦和学院・森士監督は、原田監督のことを「努力家で、ずっと真面目にやっていた」と評価し、ベンチ入りさせたと語っています。

いったんは野球の道を諦める

浦和学院卒業後は、共栄大学へ進学し野球を続けました。大学卒業後は信用金庫へ勤めます。

しかし、勤務した矢先にリーマンショックが起こりました。原田監督は、先行きに不安を感じ、大学時代の恩師に自身の将来について相談しました。

その後、2012年に共栄学園の職員となり、野球部の監督を任されました。

浦和学院で培った「日々の積み重ねの大切さ」を、共栄学園にも

原田監督は、共栄学園野球部の指導において、浦和学院野球部時代に学んだ「日々の積み重ねの大切さ」をモットーにしました。

2012年に創部したチームは徐々に力を付けていきました。原田監督のもと、2019年秋の大会はベスト8、2022年夏の大会ではベスト16まで成績を残してきました。

現在も、共栄学園には野球部の寮はありません。選手は全員地元から通ってきます。ウエイトトレーニング施設や監督室もありません。

選手たちは、片道自転車で40分のところにあるグラウンドで練習をします。バットとボールを使った練習は、平日の週2日のわずか3時間のみです。

残りの日は、校内の食堂でウエイトトレーニングをしたり、食事トレーニングに励んでいます。

原田監督はインタビューで「下町の気質というか、細かいことを植え付けるのは難しい。野球のミスは怒りません。要所は締めて、好きなようにやらせてあげよう」と、

選手たちとの関係について語っています。選手を管理するのではなく、徹底して信頼しているのがわかります。

原田監督が力を入れているのが「食」です。レギュラー選手は75キロ以上必達としています。

控えの選手も、各自身長に合わせて「身長×0.4以上」もしくは「身長-100以上」の体重になるよう指導をしています。

原田監督は、スタミナのある、最後まで諦めないチームを食からも目指しているのかもしれません。

原田監督は37歳、選手に近い存在

東・東京大会の決勝戦後のインタビューで、原田監督は選手への信頼を滲ませるコメントを残しています。

「僕の采配は全部外れていたので、選手に任せていた。」

「ダブルスチールは僕の指示だったが、外れたら責任を取るつもりでサインを出した。選手たちが応えてくれた。積み重ねの成果だと思う。」

「(投げ抜いてきたエースの)茂呂投手はヘロヘロだったけど、彼がいなかったらここまでこれてなかったので、ダメだったら一緒に終わるつもりで」と語っています。

原田監督と、現在高校3年生の選手とは10歳違いです。歳の離れた兄のような気持ちで、選手たちと共に戦ってきた様子がうかがえます。

初出場の東東京代表・都立雪谷高校をアルプススタンドで応援した

管理人は、第85回大会の東・東京代表となった都立雪谷高校の応援に甲子園まで行きました。従弟が野球部で、妹と叔母と応援に行くことになったのです。

東・東京大会決勝戦、神宮球場のスコアボード

甲子園に着くと、全国各地からやってくる応援団の方で賑わっていました。

甲子園球場での案内看板、ここからアルプススタンドへ

雪谷高校の初戦の対戦相手は、歴史のある強豪・PL学園でした。両校の力の差は、13-1という試合結果もさることながら、応援団も全く迫力が違いました。圧倒的な「圧」が1塁側からかかってきます。

アルプススタンドにいた観客の私ですら、PLの重みを受けたのですから、フィールドで戦っていた選手たちは、よりそう感じていたのではないでしょうか。

共栄学園の初戦の相手は4年連続の聖光学院で、この20年前の思い出が蘇りました。監督・選手の皆さん、自分たちのペースを守ってしっかり毎日の成果を発揮してほしいと思います。

1塁側のPL学園の応援団によるエール交換

いよいよ、甲子園でプレーボール

さて、共栄学園はまもなく登場です。原田監督は「明るく前向きなチーム」と語っています。

そして、原田監督は選手たちに「見ている人たちに勇気や感動を与えること」を勝敗よりも大切なことと伝えています。

対戦相手聖光学院・斎藤智也監督と握手する原田監督。(報知新聞社より)

試合結果、3−9で聖光学院に敗れる

4年連続出場の聖光学院が着実に点を重ねていき、一時、共栄学園が7点差を追いかけるゲーム展開となりました。

共栄学園は、7回に3点を挙げます。また8回にも、走者を3塁まで進め、1、3塁と絶好のチャンスが巡ってきましたが、ホームにかえってこられませんでした。

そして、そのすぐ後に、聖光学院は2点を追加しました。

6点差を追いかける9回の攻撃では、2アウトから満塁としましたが、最後は三振に倒れました。

共栄学園は1回戦敗退、甲子園ではミラクルを起こせませんでした。

試合中のアルプススタンドの様子

試合終了後に原田監督が語った言葉

試合終了後の取材では、原田監督は次のように語りました。

「あっという間に終わってしまったという感じです。相手に突き放されないような試合展開を描きながら後半勝負と思っていたが、離されてしまった。

流れをつかみかけたところもあったが、流れや作戦すべてで後手、後手に回ってしまったことに悔いが残る。(七回に奪った3点の)粘りはありがたい。」

どこまでも選手のことを考える監督であることが伝わってきます。

共栄学園、原田監督の次の1年は、もう始まっています。今後の活躍も楽しみです。

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