選手宣誓の高知中央・西岡悠慎主将は2回戦で敗退、第105回夏の高校野球、過去には選手宣誓&大会優勝した選手も

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2023年8月6日(日)から、第105回全国高校野球選手権記念大会が、17日間にわたって開催されています。

高知県代表・初出場の高知中央のキャプテン西岡悠慎選手が、開会式で選手宣誓を行いました。

©️朝日新聞

選手宣誓に立候補したキャプテンは17人でした。西岡選手は、自分が引き当てたことに気がつかず、隣の選手から教えてもらい、慌てて挙手をしたそうです。

組み合わせ抽選時には、驚きを隠せない様子で、次のように語りました。「49校の全員が熱い試合になるようなことをしゃべりたい。甲子園という特別な舞台で一人ひとりが主役という言葉を入れてみたい」と語りました。

8月5日に行われたリハーサルでは、鶴田陽輔部長と一緒に考えた宣誓が披露されました。リハーサル前夜は、全く眠れず、何度もつぶやいていたそうですが、予定になかった言葉も入れてしまったそうです。

リハーサル終了後、西岡選手は、ウォルト・ディズニー氏の「追いかけ続ける勇気さえあれば、夢は必ずかなう」を必ず入れたいと述べています。

西岡選手の選手宣誓(全文)

宣誓

私たちは第105回という節目の年に夢の甲子園球場に立てていることを誇りに思います。

しかし、ここにたどり着くまでたくさんの壁や困難がありました。それを乗り越えられたのは、ともに絆を深め合った仲間、監督、コーチ、そして、たくさんの方の支えがあったからです。

追いかけ続ける勇気さえあれば夢は必ず叶う、そう信じ、全国高校球児の思いを一投一打に込め、全力で戦い抜くことを誓います。

令和5年、8月6日、選手代表 高知中央高校野球部主将 西岡悠慎

西岡悠慎選手の横顔

西岡選手は、2005年5月4日生まれの18歳です。高知市立旭中学校出身で、南国マリナーズに所属していました。高校2年生の秋から高知中央のキャプテンを務めています。

身長175cm、体重75キロと体格に恵まれた、右投げ・右打ちの野手です。本大会ではライトを守ります。

野球以外ではディズニー・シーが好きで、開会式のリハーサルで述べていたように、「諦めなければ、夢は必ず叶う」とディズニーの言葉を胸に、野球に打ち込んできたようです。

また西岡選手は、キャプテンシーが抜群で、すでに入部時からキャプテンに立候補してました。高知中央の選手たちの精神的支柱となっています。

高知中央はミスのない野球で、初めて代表に

高知中央の野球部は太田弘昭監督を迎えて3年目です。高知県大会で4シーズン負け続けた「打倒明徳義塾」を合言葉に、どんな小さなエラーもない鉄壁の野球を目指してきました。

太田監督は、これまでに2013年の春の選抜大会で京都代表となった京都翔英を初出場させています。

夏の甲子園の開会式で出場選手が行進するのは4年ぶり

夏の甲子園の開会式は、コロナ禍で変更が余儀なくされていました。全出場選手がフィールドを行進する開会式は4年ぶりとなります。

2020年は全国大会が中止となりました。2021年は、全49校の選手が外野に整列して前進するのみでした。

2022年は49の代表校のうち6校が辞退して、出場する43校のキャプテンだけが行進をしました。

選手宣誓〜優勝〜プロ野球入りしたのは、過去にただ1人

過去の大会で選手宣誓を務め、夏の大会で優勝、その後プロ野球選手となったのは、管理人は調べた限り1人でした。

1998年の夏の大会(第80回)を制した神奈川県代表・横浜高校の小山良男主将(当時)です。小山氏は捕手として、松坂大輔投手とバッテリーを組み全国制覇を果たしました。

高校卒業後、小山氏は亜細亜大学へ進学しました。その後JR東日本の社会人野球を経て、2004年に中日ドラゴンズへ入団しました。

小山氏は、2008年に現役を引退しましたが、2009年のWBCには日本代表のブルペン捕手として参加しました。そして、現在は中日のスカウトを務めています。

選手宣誓は、1994年の夏の大会から大きく変わった

高校野球の開会式は、選手宣誓でどんな内容が語られるのかが楽しみの一つです。この選手宣誓の内容が大きく変わったのは、1994年の夏の大会(第76回)からです。

山口県代表の光高校の杉村衡作主将(当時)です。光高校は2年連続出場でしたが、選手宣誓は初めてでした。

杉村氏は、「われわれ選手一同は」から始まる宣誓ではなく、甲子園に出場できなかった全国の仲間も想った内容で宣誓しました。

「宣誓。野球を愛する私たちは、あこがれの甲子園球場から、全国の仲間にメッセージを送ります。

ファイト・フェアプレイ・フレンドシップの頭文字「F」のマークをあしらった高校野球連盟の旗のもと、私たち選手一同は、苦しい時はチームメイトで励ましあい、

辛い時はスタンドで応援してくれている友人を思い出し、さらに全国の高校生へと友情の輪を広げるため、

ここ甲子園の舞台で一投一打に青春の感激をかみしめながら、さわやかにプレイすることを誓います」

現在、杉村氏は大阪の会社に勤め、滋賀県で少年野球に携わっています。

西岡選手は、大会2日目に登場

西岡選手の高知中央は、大会2日目、愛媛県代表の川之江と対決します。高知中央は、高知県大会では、全ての試合が3点差以内と接戦を制してきました。

そして準決勝で、目標であった強豪・明徳義塾を破り、決勝でも高知を4-3で破り、高知の春夏連続出場を阻みました。

7月30日に、高知中央で行われた壮行会で、太田弘昭監督は「粘り強くミスをなくしていく野球をしたい。まず1勝を目標として、高知県代表として全てにおいて恥じない振る舞いをしていきたい」と述べています。

1回戦、突破!甲子園でヒットを記録

西岡選手は、8月7日に、愛媛県代表・川之江高校との1回戦に登場しました。5打席回ってきて、西岡選手は1安打を記録しました。

西岡選手のヒットは1回に出ました。西岡選手は、3球目の116キロのチェンジアップに反応します。バットを止め、低めのボールに当てにいきました。ボールはライト前に転がってヒットを記録しました。

西岡選手はランナーを3塁に進め、自分も1塁に出塁しました。1回からチャンスを広げ、チームを盛り上げました。

試合は、西岡選手の高知中央が川之江に8-4で勝ちました。高知中央は、甲子園初出場で初勝利を挙げました。

2回戦の結果は、履正社に3回戦進出・高知県勢通算100勝を阻まれる

西岡選手は、8月13日の第一試合に登場しました。2回戦の相手は大阪府代表の履正社です。履正社は2度目の甲子園優勝を目指す強豪校の一つです。

この試合で、西岡選手は4番を任されました。初回から履正社にリードを許す展開となり、西岡選手の打席もふるいません。第一打席は四球、第二打席は三振となりました。

5回が終わったクーリングタイムの際、両校のキャプテンによる自分のチームを表す「四字熟語」が紹介されました。

西岡選手は「深沈厚重(しんちんこうじゅう)」を選びました。くだらないことには心を動かされない、確固とした己の信念を持ち合わせている姿は、高知中央のチームそのものだそうです。

この時点で、西岡選手の高知中央は、0-7と履正社に圧倒的なリードを許していました。

中盤終わりの6回に、西岡選手の打席が回ってきました。

この回、ノーアウト1塁の場面から、チームメイトの越智選手のタイムリースリーベースが出て1点を返します。また続く鳴川選手もセカンドゴロながら、3塁の越智選手をホームに戻し、さらに1点追加していました。

3番の謝選手はショートゴロに倒れ、ツーアウト・ランナーなしとなっていました。西岡選手は、選球しながら、果敢にバットを振りましたが、三振に終わりました。

西岡選手の甲子園での最後の打席は8回でした。ツーアウト、ランナーは1、2塁のチャンスでした。

西岡選手を紹介するテロップには、西岡選手の好きな言葉が紹介され、そこには「下を向いていたら虹を見つけられない」とありました。バッターボックスに立つ、西岡選手の心情と重なるようです。

西岡選手は、ツーストライクと追い込まれます。

最後は見逃し三振でした。

ベンチに戻る西岡選手です。下を向いてしばらく顔を上げませんでした。西岡選手は、第1打席の四球以外、3打席連続三振でした。

そんな西岡選手の様子を見守る太田監督にも笑顔はありませんでした。

最終回、高知中央は2点を追加する粘りの攻撃を見せました。しかしながら履正社の強力打線に敗れました。

アルプススタンドで声援を送った応援団への挨拶を終え、ベンチへ引き上げてきました。

「甲子園の砂」は、今大会から復活解禁となり、西岡選手も持ち帰っている様子がわかります。

ベンチを後にする高知中央の選手たちです。礼儀正しく、帽子を取り、スタジアムへ一礼して戻っていきます。西岡選手がチームを表した「深沈厚重」がピッタリでした。

西岡選手は2回戦で敗退となりました。残念ながら、「選手宣誓から優勝した選手」とはなりませんでした。

しかし、西岡選手はキャプテンとして、高知の強豪校明徳義塾、そして高知を破って甲子園出場を果たし、さらに甲子園初勝利をするまでにチームを導きました。

西岡選手は、将来はどのような道を歩むのでしょうか。今後のさらなる活躍を期待しています。

*アイキャッチ画像は、2023年8月6日に行われた開会式での様子(写真:共同通信)

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